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東京高等裁判所 平成元年(う)697号 判決

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人上林博、同権田安則、同伊東正勝連名の控訴趣意書に、これに対する答弁は、検察官樋田誠名義の答弁書にそれぞれ記載のとおりであるから、これらを引用する。

1  控訴趣意第一(事実誤認の主張)について

論旨は、要するに、原判決は、原判示第一、第二の各事実において、昭和五八、五九年分の被告人の所得税につき、仮名・借名預金口座の設定等による所得秘匿工作を伴う虚偽不申告逋脱犯の成立を認めているが、①本件においては、逋脱の意図による原判示所得秘匿工作は全く存在しないから、所得税法二三八条一項の罪は成立せず(控訴趣意書二ないし八項)、②仮に被告人の妻又は長女名義を借用した預金口座の設定が所得秘匿工作に当たるものとしても、被告人自身の通称名である甲野太郎名義の預金口座で管理していた大塚駅南口店の営業収入及び何らの所得秘匿工作を伴わない被告人所有建物の賃貸による家賃収入については、これらを各年分の逋脱所得金額から控除すべきである(同九項)、として原判決の事実誤認を主張するものである。

よって、案ずるに、原判決の挙示する関係証拠を総合すれば、原判示第一、第二の各事実は、所論所得秘匿工作及び逋脱所得金額の点をも含め、優にこれを肯認するに足り、その他原審の記録、証拠物を調査し、当審における事実取調べの結果を加えて検討して見ても、原判決に所論の誤認があるものとは認められず、また、原判決理由中の「争点に対する判断」の説示も、その結論において相当というべきである。以下、所論に鑑み、右の諸点につき順次補足して説明する。

(虚偽不申告逋脱犯の成否について)

原判決の認定説示する本件事案の概要は、被告人は、住居地ほか二箇所において麻雀店を営むものであるが、自己の所得税を免れようと企て、「収入の一部を除外し、仮名及び借名の預金をするなどの方法により所得を秘匿した上」、(第一)法定納期限までに確定申告書を提出せず、もって不正の行為により昭和五八年分の所得税額二〇六六万七一〇〇円を免れ、(第二)法定納期限までに確定申告書を提出せず、もって不正の行為により昭和五九年分の所得税額二七五七万二四〇〇円を免れ、(第三)虚偽過少の確定申告書を提出し、もって不正の行為により昭和六〇年分の正規の所得税額との差額二五六四万三二〇〇円を免れたというのである(ちなみに、原判決理由中の「争点に対する判断」によれば、右説示のうち、「収入の一部を除外し」とあるのは主として原判示第三の事実に関するものであって、争点である同第一、第二の各事実に関しては、「仮名及び借名の預金をするなどの方法」をもって所得秘匿工作と認定していることが明らかである。)。

ところで、所得税法二三八条一項にいう「偽りその他不正の行為」とは、「逋脱の意思をもって、その手段として税の徴収を不能もしくは著しく困難ならしめるようななんらかの偽計その他の工作を行うこと」をいうものと解すべきところ(最高裁判所昭和四二年一一月八日大法廷判決・刑集二一巻九号一一九七頁参照)、原判示第三のような虚偽過少申告逋脱犯の場合にあっては、所得金額をことさらに過少に記載した内容虚偽の確定申告書を税務署長に提出する行為自体が右「偽りその他不正の行為」に当たるものと解される(最高裁判所昭和四八年三月二〇日第三小法廷判決・刑集二七巻二号一三八頁参照)のに対し、原判示第一、第二のような虚偽不申告逋脱犯の場合にあっては、単に確定申告書を提出しなかったという消極的な行為だけでは逋脱犯は成立せず、所得秘匿工作が積極的に行われた場合に限りこれが成立するのであって、このような場合、その所得秘匿工作を伴う不申告行為が同条項にいう「偽りその他不正の行為」に当たるものと解するのが相当である(最高裁判所昭和六三年九月二日第三小法廷決定・刑集四〇巻七号九七五頁参照。)。

所論は、原判決は、「所得税法二三八条一項にいう偽りその他不正の行為とは、租税を免れる意図をもってその手段として税の賦課徴収を不能もしくは著しく困難ならしめるような偽計その他の工作をいう」旨、前掲大法廷判例と同一の解釈を示しながら、その具体的適用場面において、「無申告の意図の下、借名及び仮名の預金をして売上金の一部を管理した被告人の行為」は、税の賦課徴収を著しく困難にする行為に当たると認定、説示しているが、被告人が使用した「甲野太郎」名義は、被告人が広く用いていた日本での通称名であって、何ら仮名預金に当たるものではなく、「甲山春子」名義は被告人の妻の本名、「甲山一子」又は同「壱子」名義は被告人の娘甲市子の日本での通称名(ただし、「壱子」は、預金設定を依頼された北口店店長において、本来は「一子」とすべきところを誤記したもの)であって、このように被告人と住所を同じくする家族名義を借用したからといって、直ちに借名預金といえるか疑問であり、まして、そのことによって税務当局の調査を著しく困難にするなどとは到底考えられないのみならず、被告人がこれら三種の口座を設定したのは、被告人の経営する麻雀店三店の売上金を区分する便宜のためであって、逋脱の手段として利用する意図など毛頭なかったものであるから、これらの預金設定を所得秘匿工作の手段とした原判決の認定は誤りである、と主張する。

よって、検討するに、原判決の挙示する関係証拠に当審における事実取調べの結果を総合すれば、次の事実が認められる。

ア  被告人は、昭和四六年ころ、JR山手線大塚駅北口において麻雀店「東西荘」(以下、「北口店」という。)を、同四九年に、埼玉県大宮市において麻雀店「東西荘」(以下、「大宮店」という。)を、同五二年に、JR山手線大塚駅南口において麻雀店「南北荘」(以下、「南口店」という。)を、それぞれ開業した。ただし、各店の営業名義は、北口店は被告人名義を用いたものの、大宮店については実兄甲一郎の、南口店については北口店の従業員乙山一夫の名義を借用して風俗営業の許可を受け、本件各犯行当時までこれを更新して来た。

イ  北口店及び南口店については、各店の店長が、毎日、その日の売上(卓代、飲食物のマージン、「メンバー入金」と称する従業員が客と対戦して勝ったときの入金など)及び支出(電話料、従業員食事代、その他の雑費、「メンバーアウト」と称する従業員が客と対戦して負けたとき店で立て替えた出金など)を「売上帳」に記載して各店で保管する(ただし、一年以上経過したものについては、被告人が自宅に保管していた。)ほか、「昼の部」(午前一〇時から午後一〇時まで)及び「ナイト」(深夜営業分)の二回に分けて、「売上日計表」及び「出金伝票・領収書」にその日の現金残高を封筒に入れて金額を記載したものを添えて被告人の自宅に届けていた。被告人は、これらを照合して収支を確認した上、自宅の金庫に保管するほか、月一回、各店長に「売上帳」を持参させて、「売上日計表」等の金額と照合していた。なお、各店長は、毎月末に右売上帳に基づき、店舗における収支と従業員給料、地代家賃などの管理費を記載し、当月利益を算出した「月別収支帳」(この標題は査察官の付したもので、本来は題名のない大学ノートに記帳したものである。)を作成しており、被告人は、これを常時保管して三店の営業収支を掌握していた。

大宮店については、店長が、毎日、右と同様の「売上帳」を作成するほか、その日の現金残高を被告人が開設した第一勧業銀行大塚支店(以下、「一勧/大塚」という。)の「甲山一子」名義又は住友銀行大塚駅前支店(以下、「住友/大塚駅前」という。)の「甲山壱子」名義の普通預金口座に振り込み入金していたが、毎月二〇日前後から以降の分は月末に従業員の給料を受け取るため被告人の自宅を訪れる際に現金で持参することとしており、更に、昭和五九年四月ころからは、月二、三回、北口店で行われる店長のミーティングの際に現金で持参し、被告人がこれを右口座に入金していた。

ウ  被告人は、①大東京信用組合大塚支店(以下、「大東京/大塚」という。)に、昭和五三年三月二七日に甲野太郎名義で、同五六年四月一三日に甲野春子名義で、同六〇年一一月三〇日に甲山春子名義で、それぞれ普通預金口座を開設し、これを継続する一方(ただし、その同六〇年末現在の預金残高は、三一六四円、一万九三三九円、〇円と少額である。)、②一勧/大塚に、昭和五六年六月三〇日に甲山一子名義で、同五七年二月一三日に甲野太郎名義で、同五八年二月六日に甲山春子名義で、それぞれ普通預金口座を開設し、同年三月一六日にこれら三口座をいずれも解約しているほか、同月二九日に甲野太郎名義で、同五九年一月一七日に甲山春子名義で再び普通預金口座を開設しており(ただし、同六〇年末現在の預金残高は、四万八二二三円、一万六三七三円と少額である。)、③住友/大塚駅前に、昭和五八年三月一六日に甲野太郎名義、甲山春子名義、甲山壱子名義で三口の普通預金口座を開設したほか、同年八月二日には更に甲山一子名義で普通預金口座を開設している。④このほか、住友銀行池袋支店にも、同五八年九月一三日に甲山春子名義で普通預金口座が開設されている。⑤なお、被告人は、その後、これらの普通預金を当座預金や定期預金に振り替えており、定期預金としては、住友/大塚駅前に、甲野太郎、甲山春子、甲山一子の三名義で、昭和五九年二月二九日に各二二〇万円(いずれも同六〇年七月二九日解約)、同六〇年五月三一日に各四〇〇万円、同六〇年七月二九日に各三〇〇万円、甲山春子名義で同六〇年七月二四日に一〇〇〇万円、それぞれ預金している(ちなみに、これらの預金通帳及び印鑑は、本件査察当時、大東京/大塚の甲野春子名義(被告人方タンス内)及び甲山春子名義(北口店内)の各普通預金通帳を除き、すべて被告人方金庫内で確認又は差押されている。)。

被告人は、その経営する麻雀店三店の売上金のうち、北口店の分を一勧/大塚の甲山春子名義の口座に、南口店の分を同甲野太郎名義の口座に、大宮店の分を甲山一子名義の口座にそれぞれ預け入れており、昭和五八年三月一六日に、これらを解約して住友/大塚駅前の同名の口座にそれぞれ預け入れているところ、その際、手続を依頼された北口店の店長が「甲山一子」とすべきを誤って「甲山壱子」としてしまったが、被告人は、後日そのことを知っても、敢えて訂正することなくそのまま放置していた(ちなみに、甲山壱子名義の通帳のお届け印には、甲山春子名義の通帳に使用されている「甲山春子」と刻した印章が逆さに押捺されている。)。なお、被告人は、常時自宅に一〇〇万円くらいの現金を備えており、必要に応じて手元の現金から経費その他の出費を支出したり、また、大口の小切手支払いのため当座預金に入金しているため、三店の売上金の合計額と前記の普通預金額とは一致せず、昭和五八年分については一〇二六万四六四〇円、同五九年分については二四三八万五七五一円、同六〇年分については四三七万六一八三円、預金額の方が少なくなっている。

エ  被告人は、昭和四七年一〇月に、東京都豊島区《番地省略》の土地と鉄筋コンクリート造陸屋根四階建の地上建物(甲野ビル)とを六七八〇万円で一括購入し、同ビル四階を居宅とし、二階で北口店を経営するかたわら、三階の各一部分を「スナック秋子」を経営する乙川秋子に月額二五万円で、株式会社東証に月額五万六〇〇〇円(同五八年四月以降は月額五万八〇〇〇円)で、一階を「割烹戊川」を経営する丙一助に月額一六万円で、それぞれ賃貸していたところ、乙川秋子からは毎月現金で家賃を受け取っていたものの、前所有者からの賃借人である株式会社東証及び丙一助との間では、賃貸料値上げないし立ち退きを巡って紛争が生じ、家賃相当額の供託を受けていた。被告人は、これらの不動産収入を帳簿等に記載せず、これを明確にする資料も整備しないまま、乙川からの現金収入については、生活費等に費消していた。

オ  被告人は、開業以来昭和五七年分までの所得については、「甲野太郎こと甲太郎」名義で確定申告をして来たが、もともと税金は少しでも少ない方がいいとの考えを持っていた上、麻雀店の営業収入が増加するに従い所得税額が累進するので、税額をごまかしてその分だけクラブでの飲食やゴルフなどの遊興に充てた方が得策だと考え、実際所得の極く一部のみの虚偽過少申告を行って来た。例えば、昭和五七年分の麻雀店の営業による所得は約三〇〇〇万円であるが、被告人は、これを九三万二一八〇円しか申告せず、申告を依頼していた税理士事務所の担当者から「あまりにも実際より少ない金額しか申告しないのはまずいですよ」と注意されている。それにもかかわらず、被告人は、昭和五八年分の営業による所得が約四〇〇〇万円であることが分かっており、正直に申告すれば所得の半分位税金に取られてしまうので、申告して納税するのは馬鹿馬鹿しいとの考えを抱き、税理士事務所からの前記注意に反撥する気持もあって、全く申告をしないこととし、同五八、五九年分の確定申告をすることなく、納期限を徒過させた。

昭和六〇年分については、永住権の申請や銀行融資を受けるについて所得税の納税証明書が必要であるため、やむなく確定申告をすることとしたものの、二年間の不申告により従来の税理士とは気まずい関係にあったため、新たな税理士に申告書の作成を依頼したが、これを奇貨として、営業名義が「甲一郎」で預金名義が「甲山壱子」である大宮店については被告人の経営の経営であることを秘匿し、他の二店舗についてのみ、売上帳などの資料は見せないまま、被告人のメモにより過少な売上及び所得を説明し、不動産収入についても、供託になっている分は申告しないよう強引に頼み込んで、虚偽過少の確定申告書を作成して貰い、これを所轄税務署長に提出した。

以上の認定事実、ことに前示オの事実によれば、被告人が、所得税を免れる意図をもって昭和五八、五九年分の確定申告をしなかったものであること、すなわち、両年分の不申告行為が所得税逋脱の意図によるものであることが明らかである。

しかし、前示のとおり、虚偽不申告逋脱犯が成立するためには、これのみでは足りず、逋脱の手段として「税の徴収を不能若しくは著しく困難ならしめるような何らかの偽計その他の工作」が行われることが必要である。そこで、被告人による所得秘匿工作の有無及びこれを逋脱の手段とする意図の有無につき、以下に検討する。

麻雀店三店の営業による事業所得について見ると、前示のとおり、三店の売上、経費等を正確に記載した帳簿が存在する。もっとも、昭和五七年以前及び同六〇年における申告の状況に照らせば、原判決も指摘するように、被告人は、これらの帳簿を自ら営業状態を把握する必要から作成していたに過ぎず、これらを税務当局に公表する意思のなかったことが窺われるが、さればといって、これらを税務当局から隠蔽し、あるいは虚偽の表帳簿を作成するなどの仮装工作を積極的に行った形跡も認められない。したがって、これらの帳簿のみから営業による損益が完全に把握できるものとすれば、預金名義を借用するなどの方法によって所得を秘匿できる可能性は少ないといわざるを得ない。しかし、本件においては、多くの勘定科目に亙り、これらの帳簿に記載されていない費用が存在し、その金額の確定は殆ど被告人の陳述に依存しているから、預金の出入りによってその信憑性を確かめる必要性が高く、預金の帰属を偽ることは、税務調査を著しく困難にする要素を含んでいる。

そこで、被告人が、三店の売上金を管理していた三口座の預金名義について考察する。

まず、①「甲野太郎」名義について見ると、これが被告人の日本における通称名であって、その名前で印鑑証明書や小切手帳が発行されているほか、外国人登録証にも韓国名と併せて通称として記載されており、更に昭和五六、五七年分の確定申告書にも「甲野太郎こと甲太郎」と明記されていることが証拠上明らかであるから、これをもって「仮名」と認めるのが相当でないことは、所論のとおりとしなければならない。次に、②「甲山春子」名義について見ると、これは、被告人の妻の帰化後の本名であり、これを被告人の預金口座の名義に用いることは、いわゆる「借名」に当たるものと認められる。更に、③「甲山一子」、同「壱子」名義について見ると、所論は「甲山一子」は被告人の長女甲市子の日本における通称名(なお、「壱子」はその誤記であるが、「一子」との同一性は明らかであるという。)であると主張するが、同女の通称名が「甲野一子」であり、「甲山一子」、同「壱子」は預金名義にのみ使用されたものであることは、当審において被告人の自認するところであって、これによって見れば、一種の「仮名」ともいえるし、住所や届け出印から甲市子との同一性が認められるとしても、「借名」に当たることは明らかである。

問題は、これらの「仮名」又は「借名」による預金口座を設定したことが、逋脱犯成立の要件としての所得秘匿工作に当たるといえるかである。以下、これが客観的に所得秘匿工作といえるだけの実質を有するか、及び被告人においてこれを逋脱の手段として利用する意図を有したかの両面から考察する。

(1) たしかに、甲山春子及び甲市子は、被告人と住所を同じくする家族であって、全く架空の名義を用いたり、被告人と関係の薄い他人の名義を借用したりした場合と比較すれば、これらの名義を用いた預金は、被告人に帰属するものと判断され易い関係にあるといえないではない。しかしながら、①甲山春子は、被告人の妻であるが、被告人から麻雀店の営業の一部(たとえば一つの店舗)を任されて経営するとか(前示のように、各店の営業名義がまちまちで、かつ、実際の営業主体と一致していないことから、そのようなケースも十分考えられる。)、被告人とは別個に何らかの事業を営むとか、あるいは被告人から贈与を受けるとか、その他何らかの理由で預金額に見合う収入を得ている可能性もあり得るので、特段の事情のない限り、同女名義の預金は同女に帰属するものと推認され、これが被告人に帰属するとするためには、同女には預金に見合う収入がなく、被告人にはその源資とするに足りる収入があることなどにつき、綿密な調査を遂げる必要がある。次に、②被告人の長女である甲市子の場合は、その本名が用いられておらず、「甲山一子」又は「甲山壱子」の名義が用いられているので、まず、これらと甲市子との同一性を確認する必要があることはいうまでもない。この点は、同女が「甲野一子」の日本名を用いており、かつ、同女の母親が「甲山」姓であることから、さして困難とはいえないとしても、それなりの調査の必要は認められる。そして同女は、一九六五年一〇月一六日生で原判示第一、第二の各犯行当時は未成年者であるから、独力で多額の収入を得る能力があるものとは通常考えられず(ちなみに、昭和五七年分以前はもとより、同六〇年分の確定申告書においても、被扶養者として申告がなされている。)、その名義で高額の預金があるとすれば、両親のいずれか一方又は双方から贈与を受けたか、あるいはこれらの者に名義を貸しているかのいずれかと考えられるが、この場合においても、その預金が被告人に帰属することを確定するには、その他の可能性を排除するに足りるだけの調査が必要である。

そして、前示のように、北口店は営業名義が被告人であって預金名義が「甲山春子」、南口店は営業名義が乙山一夫であって預金名義が「甲野太郎」こと被告人、大宮店は営業名義が被告人の実兄甲一郎であって預金名義が「甲山一子」又は「甲山壱子」と複雑に入り組んでおり、かつ、これらの預金が昭和五八年中に一勧/大塚から住友/大塚駅前に預け替えられている事情は、右の調査を一層困難ならしめるものである。所論は、一勧/大塚も住友/大塚駅前も被告人の住居と極めて近接しており、税務当局からは真っ先に眼を付けられる場所にあると主張するが、右事実は、これらの預金の存在を発見することが比較的容易であることを意味するに止まり、これらの預金が被告人に帰属することの調査の困難さを軽減するものではない。

本件においては、収税官吏による査察の結果、預金通帳、印鑑等のほか、「売上帳」を始め多数の帳簿類が確認又は差押されており、これらと被告人の陳述とによって、実際所得金額の捕捉がなされているのであるが、このような強制捜査がなされた後の状況を勘案して、税の徴収が容易であったものと考えることは相当でない。けだし、申告納税制度の下においては納税者の正確な申告のあることが前提となって適正な税の徴収が図られるところ、課税所得のない事犯の場合において、被告人に帰属すると見られる多額の預金の存在からその不申告行為に疑いを抱き、強制捜査に踏み切るためには、まずもって当該預金の存在を発見し、これが被告人に帰属することを確認することが先決問題であり、そのためには、前示のような調査を遂げる必要があるからである。そして虚偽過少申告逋脱犯においては、所得金額をことさらに過少に記載した内容虚偽の確定申告書を税務署長に提出する行為それ自体が、税の徴収を不能もしくは著しく困難ならしめる「偽りその他不正の行為」に当たるものとされ、したがって、たとえ損益関係や資産関係を正確に記載した帳簿が備え付けられており、税務署職員の調査又は収税官吏の査察によって正確な所得の捕捉が容易に可能となる場合であっても、なお逋脱犯の成立が認められることとの権衡を考慮するときは、不申告逋脱犯の場合においても、仮名又は借名預金の設定等によって前示の程度の調査を遂げる必要を生じさせたときは、「税の徴収を著しく困難ならしめるような偽計その他の工作」があったものと認めるのが相当である。

叙上のとおり、本件における「仮名」又は「借名」による預金口座の設定等は、これを客観的に見て、虚偽不申告逋脱犯成立の要件である「所得秘匿工作」に当たるものということができる。そこで、更に、被告人がこれを逋脱の手段として利用する意図を有したものであるかについて考察を進めることとする。

(2) 被告人は、原審第二回公判廷において、麻雀店三店の売上金を預金するに当たり「甲野太郎」、「甲山春子」及び「甲山一子」又は「甲山壱子」名義の三口座を開設した理由につき、各店舗の売上金を分離して管理する必要上そうしたまでであって、他意はない旨供述しているが、経営者として各店舗ごとの営業成績を正確に把握する必要のあることは頷けるとしても、前示のように、各店舗ごとの売上、諸経費、営業成績等を明らかにした「売上帳」、「月別収支帳」、その他の資料が整備されているのであるから、預金口座まで各別にしなければならない必然性は認められず(原審第三回公判廷における被告人の供述によれば、現に、当座預金に関しては、「甲野太郎」名義の一口座のみで、三店舗の経費をすべて賄っているというのである。)、よしんばその必要があるものとしても、被告人名義で三つの口座を開設し、通帳に各店舗名を付記するなどして管理することもできた筈であり、到底合理的な説明とは認められない。

してみると、「このように、家内と長女の名義を使ったのは、各店舗毎に売上金を預金する口座を別個にして区分するという理由もありましたが、これによって家内と長女の名義の預金口座については、私の預金ではないとよそおって税務署の目をごまかすためであったことは間違いありません」、「五八年分と五九年分については全く申告しなかったことの原因としては、私がマージャン荘の売上金の一部を私以外の名義で預金しており、したがって税務署に私の預金を調べられても、私自身の名義でない預金については分からないだろうと考えていたからです」、住友/大塚駅前の預金につき、「私は丁原から預金通帳を受け取って直ぐに甲山壱子という名義にしたことが分かりましたが、私としてはむしろこの方がもっと私の預金であるということが税務署に分かりにくいと思いましたので、『壱子』の名義を『一子』に変更しないでそのまま『壱子』の名義のままにしておきました」(検察官に対する昭和六三年一一月二六日付供述調書第一〇項・第一一項)という捜査段階における被告人の供述の方が、当時の心情をはるかに素直に吐露したものというべきである。

この点に関し、所論は、被告人は、昭和五六、五七年分の確定申告において、本件三店舗をすべて被告人の経営にかかるものとして申告しているのであるから、北口店及び大宮店の売上を妻や長女名義の預金にして隠蔽しようとしても不可能である、と主張する。なるほど、昭和五六年分の確定申告書控には本件三店舗の売上等の明細を記載した一覧表が添付されているが(同五七年分についてはその添付がなく、申告書控からは三店舗全部についての申告であることが必ずしも明確ではない。)、そのことから直ちに所論のような結論を導くことはできない。すなわち、被告人が三つの店舗を経営していることを公表しているとしても、その売上金を店舗別の三口の預金口座に入金していることまでは公表していないのであって、これを一個の口座で管理しているように装うことも可能である。他方、各年分の申告書控によれば、昭和五六年分の麻雀店の営業による所得としては三四四万六一八三円、同五七年分のそれとしては九三万二一八〇円をそれぞれ申告しているに過ぎないのであって、「甲野太郎」名義の預金額にすら満たない寡額であり(当審で取り調べた大蔵事務官金内松一作成の査察官報告書によれば、昭和五七年末現在における一勧/大塚の「甲野太郎」名義の普通預金残高は、一六一万二三一二円である。)、これに妻や長女名義の預金額を合計すれば、たちどころに右申告の虚偽過少性が露見するのは必定である。したがって、「甲野太郎」名義以外の預金の存在はこれを隠蔽する必要があり、そのことは、所論にもかかわらず、これらを被告人の預金でないと装った旨の被告人の前示供述の信憑性を裏付けるものというべきである。

ちなみに、税務調査の困難性を一層高めるものと見られる前示諸事情について、被告人の認識状況を検討すると、被告人は、大宮店、南口店の営業許可に他人名義を借用した理由として、前掲検察官面前調書第四項においては、前科があると新規開店の営業名義人になれないと人から聞いていたためで、脱税の目的によるものではないと述べ、当審において、被告人の前科は大宮店の開店よりも後である点を追及されるや、前科ではなく密入国で収容所に入れられたことの意味であると述べるなど、一貫しない面も見られるが、その言い分どおりに開店当初は脱税の意図でなかったとしても、昭和五八年から二年分の不申告をした時には、「南口店と大宮店が私以外の営業名義になっているからそれだけ税務署に私が経営者であることが分かりにくいだろうという気持ちが働いて、従来どおりの営業名義で私が毎年の営業許可更新の手続きをしたことも事実であります」(検察官に対する昭和六三年一二月一日付供述調書第五項)と自認しているのである。なお、被告人は、前示のように営業名義と預金名義が食い違っている点につき、特別の事情はなかったと述べているが(当審第二回公判廷における供述)、営業許可や預金口座に他人名義を借用することが税務署の調査を困難にするものと認識していた以上、その組み合わせが複雑になれば調査の困難性が増加するのは当然であって、その点の認識がなかったものとは考えられない。更に、被告人は、昭和五八年三月一六日に一勧/大塚から住友/大塚駅前に預金を移した理由につき、一勧/大塚に融資を申し込んで断られたことが直接の動機であると述べているが、「それと同時に、……この際預金する銀行を変えてしまえばそれだけ税務署に分かりにくくなるだろうという気持ちがあったことも否定できません」と述べているのである(前掲検察官に対する昭和六三年一一月二六日付供述調書第一一項。なお、被告人は、預金を住友/大塚駅前に移してからは、その必要がなくなったとして、銀行融資を受けていない。)。

してみると、被告人が本件「仮名」又は「借名」による預金口座を設定したのは、これを所得秘匿の手段として税の逋脱に利用する意図によるものと認めるのが相当である。

以上(1)、(2)で検討したとおり、被告人が本件の具体的状況の下において、「甲山春子」及び「甲山一子」又は「甲山壱子」名義の前示普通預金口座を設定し、被告人の経営にかかる麻雀店の売上金を管理したことは、「逋脱の意思をもって、その手段として税の徴収を著しく困難ならしめるような工作」を行ったものに当たるということができ、昭和五八、五九年分の所得につき、かかる所得秘匿工作を伴う不申告の行為に出たことは、所得税法二三八条一項にいう「偽りその他不正の行為」により各年分の所得税を免れたものと認められる。

それ故、原判示第一、第二の各所為につき虚偽不申告逋脱犯の成立を認めた原判決に所論の誤認はない。

(逋脱犯の成立する範囲について)

昭和五八、五九年分の被告人の「総所得金額」は、麻雀店三店舗の営業による「事業所得」及び被告人所有の甲野ビルの一部賃貸による「不動産所得」によって構成されているところ、前示のとおり、本件所得秘匿工作は、北口店及び大宮店につき仮名又は借名の預金口座を設定してその売上を管理した点に認められるに過ぎない。したがって、所論も指摘するように、被告人自身の名義による預金口座を設定していた南口店の営業による事業所得及び特段の所得秘匿工作の認められない不動産所得についても、虚偽不申告による逋脱犯の成立が認められるかが、次に問題となる(この点に関し、原判決は、その理由中の「争点に対する判断」第三項において、「被告人の営業許可名義の店舗」、すなわち北口店についての問題として論じているが、原審及び当審において弁護人が争っているのは、被告人名義の預金口座の設定されている南口店についてである。)。

端的に結論を示せば、虚偽不申告逋脱犯の場合においては、総所得金額の一部について事前の所得秘匿工作が存在しない部分があっても、総所得金額の全部についての逋脱犯が成立するものと解するのが相当である。その理由は、以下に述べるとおりである。

まず、逋脱の犯意は、総所得金額の全部について認められることに留意する必要がある。すなわち、被告人は、総所得金額のすべてについて、それが自己の所得であることを認識し、かつ、これに課せられる所得税をすべて免れる意図で、ことさらに申告しなかったものである。したがって、ここでは犯意阻却の問題は起こり得ない(仮に、被告人に帰属すると認められる所得が右以外に存在し、これについて被告人の認識が欠けていたとすれば、その場合に初めて犯意の不存在が問題となる。)。

また、所得税法二三八条一項にいう「偽りその他不正の行為」とこれにより税を逋脱した結果との間に因果関係の存在を要することはいうまでもないが、因果関係が必要なのは、「所得秘匿工作」と逋脱の結果との間ではなく、「所得秘匿工作を伴う不申告行為」と逋脱の結果との間である。そして、不申告行為は総所得金額の全部について行われているのであるから、これと因果関係を有する逋脱の結果も、総所得金額に対する税額の全部に及ぶのである。

このように、虚偽不申告逋脱犯の場合において逋脱の手段として用いられた所得秘匿工作の存在は、犯意や因果関係の成立する範囲とは別個の次元に属する問題である。それは、もしそれがなければ単純不申告犯(所得税法二四一条)が成立するに過ぎない行為(不申告)につき、逋脱犯としての不法性を帯びさせる要素であって、かかる要素は、不申告にかかる総所得金額のすべてに亙って存在することまでは要しないものと解すべきである(仮に、右と異なり、所得秘匿工作が総所得金額の一部について存在するに過ぎない場合には、当該工作の行われた所得についてのみ不申告逋脱犯が成立すると解して見ても、その余の所得について単純不申告犯の成立することは否定できず、このように、不可分一体の関係にある総所得金額の各部分毎に各別の犯罪が成立するというのは不合理であるから、結局両者を包括してその全部につき重い不申告逋脱犯一罪の成立を認めざるを得ないこととなり、結論において本文説示の解釈と同一に帰する。)。

それ故、本件虚偽不申告逋脱犯は、所論南口店の営業による事業所得及び不動産所得をも含め、不申告にかかる総所得金額の全部につき成立するものと認めるのが相当であり、これと同旨に出た原判決の認定に所論の誤認はない。

叙上の次第であるから、原判決の事実誤認を主張する論旨はいずれも理由がない。

2  控訴趣意第二(量刑不当の主張)について

記録及び証拠物を調査し、当審における事実取調べの結果をも併せて原判決の量刑の当否を検討するに、前示のとおり、本件は三年分に及ぶ所得税の逋脱事犯であるところ、被告人は、麻雀店三店の営業による収益などにより、この間の実際総所得金額が合計一億五七九二万九三六三円もあったのに、うち二年分については全く税の申告を行わず、一年分については虚偽過少の申告をすることにより、合計七三八八万二七〇〇円の所得税額を免れたものであって、その逋脱額も高額であり、逋脱率に至っては、九九・三三パーセント(虚偽過少申告分のみでも九八・一一パーセント)と極めて高率である上、その動機は、単に税金を払うのは馬鹿馬鹿しいと考えたためというのであって、納税意識の希薄さは驚くべきものがあり、罪質を異にするとはいえ、傷害、公務執行妨害、暴行及び道路交通法違反の各罪による罰金前科二犯、懲役前科二犯(いずれも執行猶予付)を有することからすれば、納税意識のみならず、遵法精神そのものも希薄と認められ、その刑責を厳しく問われてもやむを得ないというべきである。

してみると、被告人は、本件査察結果に基づき修正申告の上、本税の全額及び延滞税の一部を納付し、更に、一部の店舗を処分して延滞税や重加算税の納付に努力中であり、かつ、麻雀店の経営を法人化するとともに経理関係の明確化を図るなど、反省の色を見せていること、本件の新聞報道によりある程度の社会的制裁を受けていること、その他所論指摘の諸事情中首肯し得る点を被告人の有利に斟酌して見ても、被告人を懲役一〇月(三年間執行猶予)及び罰金二二〇〇万円に処した原判決の量刑は相当というべきであり、これが重過ぎて不当であるとは認められない。論旨は理由がない。

よって、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 半谷恭一 裁判官 堀内信明 新田誠志)

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